羽崎泰男の子ども雑学

羽崎泰男の子ども雑学

 さて、私の名前は「羽崎」(はざき)と言います。

ちょっと前までは子育てに奮闘していたのですが、気がついてみると、いつの間にか孫の成長が楽しみな爺さんになっていて、「東京ジージ」と呼ばれて、ニンマリ、何とも言えない心地良さを感じるこの頃です。

まずは「ごあいさつ」

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かつては、NHKの「おかあさんといっしょ」という番組にすい星のごとく登場した「イチジョウマン」の師匠として、あるいは、「からだであそぼ」のゴムだんおじさん、手ぬぐいおじさんとして全国の子ども達やヤンママから中年アイドルなどと喝さいを浴びた時代を懐かしく思い出しながら、現在もその延長線上で奮闘しています。

懐かしい昔話、そして、子どもや子育てにまつわる裏話、滑稽話は追々お話していきたいと思います。楽しみにしてください。

「こどもの城ファン」の歴史

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2015年3月に「こどもの城」の30年の歴史に幕が下ろされました。

長く、子どもの健全育成、子育て支援などの事業を展開し、特に「学校教育でもなく単なる遊びでもない」といったコンセプトの元、数千に及ぶ遊びのソフトを開発し、全国への普及活動を精力的に実施してきました。

30年前というとこどもの城近辺は青学の学生が行き交う程度で、1964年の東京オリンピックで整備された青山通りもカレーの老舗が角にある程度で、人通りも少なく薄暗い雰囲気が漂っていました。そこに、忽然と巨大で近代的な子ども達のためのお城が現れたのですから、世の中の人たちはさぞ驚いたことだったと思います。当時の我々の合言葉は「表参道から渋谷までの人の流れを作る」でしたが、あっという間にそうした光景が見られるようになりました。特に、子ども達がうれしそうに手をつないでやってきたり、ベビーカーを押すお母さん達が列をなしてくる姿にはほのぼのとした豊かさを感じたものです。

遺産を受け継ぎ、新たな誕生を

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こどもの城には年間100万人が来館し、様々な活動に参加していましたが、日常的に来る子ども達は「こどもの城っ子」と呼ばれ、地域や時代を象徴するような子ども達でした。

当時の小学生はすでに40歳前後になります。多くのこどもの城っ子が親となり、子育てに奮闘しながら、それぞれのフィールドで活躍してくれていると思います。こどもの城の閉城とともに新しく育っていく子ども達がいなくなるのは実に寂しいことですが、遺産は多くの人たちに受け継がれ、日本や世界に広がっていくと思います。

これからは、こどもの城以上にパワーを秘めた魅力的な施設、組織が生まれるための努力を我々が進めていきたいと思っています。

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