羽崎泰男の子ども雑学 Vol.2

 

羽崎泰男の子ども雑学 Vol.2

ちょっと前までは子育てに奮闘していたのですが、気がついてみると、いつの間にか孫の成長が楽しみな爺さんになっていて、「東京ジージ」と呼ばれて、ニンマリ、何とも言えない心地良さを感じるこの頃です。前回の「羽崎泰男の子ども雑学」はこちら

こどもの城回想

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子どもの事を色々語るには、やはり、こどもの城を語らなければ始まりません・・・とは、ちょっと、オーバーですかね。それでも、うかうかしていると記憶の中から消えてしまいます。

何時の間にか、三十年遡らなければこどもの城の開城当時を描くことができなくなったのだと思うと、その時の流れの速さと、まあ、なんと色々な事があったのかと気の遠くなるような思い出が溢れてきます。

こどもの城って?

085193あらためてこどもの城の紹介をするのも“いまさら”のような気がするのですが、意外と知られていないようなこともあるものです。

たとえば、「こどもの城」ですが、この名称は実は正式ではなく、愛称ともいえるものなのですね。それこそ、30年以上前の構想段階の書類等には「国立総合児童センター」との表記があるだけで「こどもの城」という文字は見当たりません。

今では懐かしいバブル期の頃、多くの夢と理想を掲げて世界に誇れる施設をと言うことで構想、実現したものです。もちろん、大きな理由と言うのは「児童の権利宣言」採択20周年を記念して、1979年を国際児童年とすることとなり、その記念として、この国立総合児童センターは当時の厚生省(現厚生労働省)が建設したものなのです。

ここで、ひとこと言わせてもらえるなら、こどもの城の閉館と言うのはこうした「児童の権利宣言」「国際児童年」というのがどこかに吹っ飛んで行ってしまったのです、実は・・・

つづく

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